『よこしまな男と、知恵のある女』 Ⅱサムエル20章1−26節

<前回までのあらすじ>
前回「上げたり下げたり」と題して学びました。ダビデがアブシャロム軍に勝った途端、様々な人がそれぞれの思惑を持って近づいてきました。彼らの多くはダビデが追われる立場の時は彼を邪険に扱い、勝利すれば彼に媚びへつらったのです。イスラエルの諸部族もそうでした。彼らは手のひらを返したようにダビデを迎え入れようとしました。しかしダビデの帰還は出身部族であるユダ族主導で運び、文句を言うと、ユダ族の激しい剣幕に押し切られてしまいました(43)。

今日は、よこしまな者ベニヤミン人ビクリの子シェバが登場します。彼がベニヤミン人であることは、同じベニヤミン族出身のサウル王家に愛着を持つ者であることがうかがえます。彼は角笛を吹き、人目を惹き、ダビデの悪口を言いふらしました。その内容は以下の通りです。「ダビデはユダ族ばかりをえこひいきし、それ以外のイスラエルの諸部族には何もしてくれない。新たな割り当て地もなければ、先祖代々受け継がれてきたゆずりの地もユダ族に与えてしまうだろう。そんなダビデについていっても何にもならない。さぁ家に帰ろう。」

ユダ族以外のものは、それを聞くと、ねたみにかられ、再び手のひらを返したようにダビデを捨てシェバに従ったのです。まさしく「上げたり下げたり」!彼らにとっては自分の損得が大事で、主に油注がれたのは誰なのか、自分は誰に従うべきなのかという信仰的な視点は皆無でした。結果的にシェバの反乱は、ベリ人(ビクリ人)以外それほど広がりませんでした(14)。

その後に、10人のそばめのことが記されています(3)。彼女たちは、監視付きの家を与えられ、ダビデに養われましたが、ダビデは二度とそこには通いませんでした。生きながらにして、やもめ(未亡人)のようになってしまったのです。時代と権力に翻弄され、なんともかわいそうな気もします。しかしこうすることによって、ダビデは彼女たちが、再びクーデーターに利用されないよう守ったとの説もあります。

また更迭されたはずのヨアブも再登場します。ダビデから将軍に任命されたアマサは、経験不足により、ユダ軍を期間内に集められませんでした。そこでダビデは、アビシャイを任命し、シェバを追撃させるのですが、そこに割って入ってきたのがヨアブでした。彼はどさくさに紛れて、アマサをだまし討ちして一撃で殺してしまいました (10)。その遺体の扱いを見ても、彼の冷酷さが際立っています(12)。こうしてヨアブは、王の委託を受けた弟のアビシャイを脇に差し置いて、自分が軍を指揮し、周りの者も自然と彼に従いました(11,23)。結果、彼は将軍に返り咲きます(23)。

ヨアブがシェバを追い詰めた時に、一人の知恵のある女が登場しました。その時ヨアブは、シェバ一人を捕まえればいいのに、一つの町そのものを破壊しようとしていました。この女は、まるで正気を失い、荒くれだったヨアブの前に立ちはだかり、「あなたはなぜ、主のゆずりの地をのみ尽くそうとされるのですか」と、謙遜かつ大胆に立ちはだかり、残っていたであろうヨアブの信仰心に訴えました。そして町の者を説得し、まとめて、シェバだけをヨアブに差し出し、町を救いました。

現代は、誰でも何でも発言できる時代です。しかし言葉には、よこしまな「愚かな言葉」と、知恵ある「賢い言葉」とがあります。愚かな言葉とは、負の感情に訴え、互いの不信と対立を煽り、共同体をバラバラに、破壊してしまいます。それに対して賢い言葉とは、何よりも信仰に基づき、どんな人の前でも大胆かつ謙遜に語り、人の怒りを和らげ、ハッと我に返らせ、共同体全体に平和と一致をもたらすのです(箴言15:1-2)。