『上げたり、下げたり』 Ⅱサムエル19章16−43節

<前回までのあらすじ>
前回はヨアブの更迭について学びました。ヨアブには敵を定めたら、死に至らせるまで、とことん攻撃し過ぎてしまうところがありました。あくまで「イスラエルの統一と平和」を目出すダビデとは相入れませんでした。そんなダビデの姿勢は、今日の箇所にも現れています。勝利したダビデ軍が、エルサレムに帰る途中、様々な人々が、それぞれの思惑を持って、ダビデに近づいて来ます。

最初に登場したのは「ゲラの子シムイ」でした。彼は、ダビデがアブシャロムに追われてエルサレムから逃げて行くときには、石を投げつけながら呪いの言葉を浴びせました(16:5-8,13)。それなのに形勢が逆転すると、王が喜ぶことをして「このしもべが犯した咎を、思い出さないでください(19)」と願いました。この変わり身の早さ!部下のアビシャイは「(彼は)死に値するのではありませんか」と言いましたが、ダビデはそれを制止して「あなたを殺さない」とシムイに誓うのでした(23)。

次に登場したのは、サウルの孫のメフィボシェテでした。彼は落ちぶれたところをダビデによって救われ、王の食卓につくことさえ許されたのに、ダビデが逃げるとき一緒に行きませんでした。部下のツィバは、彼はサウル家の復興を願っていた、とダビデに説明しましたが(16:3)、今日の箇所でメフィボシェテはそれを否定しています(27)。大方の注解者はメフィボシェテに同情的ですが、真相は誰にも分かりません。ダビデもそれ以上追求せずこう言いました。「あなたはなぜ自分の弁解をくり返しているのか。私は決めている。あなたとツィバと地所を分けなければならない。(29)」

次に登場したのは、ギルアデ人のバルジライという人物でした。彼は先の二人とは違って、最初からダビデの味方をしました (17:27-29)。彼はダビデが最も苦しかったときに「荒野で飢えて疲れ、渇いていると思い」たくさんの食料でダビデの陣営を支えたのです。彼に対し、ダビデは自ら「一緒にエルサレムに来てください(33)」と誘いましたが、バルジライは高齢を理由に辞退しました。しかし「キムハム(彼の息子)がいっしょにいきます」と言いました。ダビデは、「(キムハムはもちろんのこと)あなたが、私にしてもらいたいことは何でも、あなたにしてあげましょう(38)」と約束しました。

最後に登場するのは、ユダ族の人々と、それ以外の諸部族の人々です(41-43)。ユダ族の中にはベニヤミン族も含まれており、諸部族の中には、残りの10部族の者たちが含まれます(43)。これは後の北イスラエル王国と南ユダ王国のくくりです。ここにもうすでに対立の火種を見ることが出来ます。しかしここで大切なのは、彼らはかつてともにダビデに背き、アブシャロムについて行ったのに、ダビデの勝利とともに、手のひらを返したように、勝ち馬に乗ろうとしている事です。

人々の打算が、様々な形で交錯(こうさく)しています。そうでない人々もいましたが、多くの人々は、ダビデが追われる立場の時は彼を邪険に扱い、ダビデが勝利すれば彼に媚びへつらったのです。イエス様の順序は逆でした。エルサレムに入城する際、人々は散々「ダビデの子にホサナ」と歓迎したのに、その一週間後に手のひらを返したように「十字架につけろ」と呪ったのです。順序は逆でも、まさに「上げたり、下げたり」です。

私たちは、損得によって態度を変えるべきではありません。また自分が持ち上げられても高慢にならず、蔑まれても卑屈にならず、主にある「自分」を保ち続けたいものです。その上で、自分を侮辱した人には、ダビデのように「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず」という姿勢を貫きたいものです。