『神の箱を町に戻しなさい』 Ⅱサムエル15章23−37節

<前回までのあらすじ>
前回はいよいよアブシャロムが、クーデターを起こす箇所でした。彼は四年もかけてイスラエル人の心を盗み、ヘブロンで反逆の狼煙をあげました。時すでに遅し!ダビデは即座に、「さあ逃げよう」とエルサレムから逃げ出しました。

ダビデがエルサレムから出て荒野に向かうのを見て、すべてのものが悲しみにくれました。国中の民も泣きました(23節)。ダビデと、その一緒に町を追い出された者たちも、まるで犯罪者のように頭をおおい、泣きながら歩いていました(30)。そんな中、祭司のツァドクやエブヤタル、レビ人たちは、エルサレムから「神の契約の箱」を持ち出しました。そうすることで、ダビデが喜んでくれると思ったからです。彼らは、かつてこの神の箱が、エルサレムにかつぎ込まれた時、ダビデが一心不乱に踊って喜んだことを覚えていました(Ⅱサム6章)。また神の箱を手元に置くことで、ダビデ自身も、王としての求心力を保つことができたでしょう。

しかし意外なことに、ダビデは「神の箱を町に戻しなさい」と命じました。その理由をダビデ自身がこう説明します。「もし私が主の恵みをいただくことができれば、主は私を連れ戻し…もし主が『あなたはわたしの心にかなわない』と言われるなら…主が良いと思われることをしてくださるように」。ダビデは「我々人間が神の御心に従うべきで、人間の都合で神の箱を動かすべきではない」と考えたのです。ここに「悩みの炉で練られ(イザ48:10)」、試練によって、さらに成熟したダビデの姿を見ることができます。

この試練の中で、ダビデは自分の運命を主にゆだねながらも、知恵を用いて行動しました。彼はひどい仕打ちを受けながらも、ふてくされず、絶望せず、次の一手を打ち、事態打開の機会をねばり強く待ちました。逃亡の途中、アヒトフェルが、アブシャロム陣営に加担したことを聞かされると、震え上がる思いで「主よ。どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください(31)」と祈りました。でも祈るだけではなく、つねに具体的な行動を起こしました。

ダビデは(神の箱と一緒に送り返した)ツァドクとエブヤタルに、彼らの子供達と一緒に、そのままエルサレムに留まるように指示しました。またダビデを慕って、追いかけてきたフシァイにも「アブシャロムに『あなたのしもべになります』と言って留まるよう」指示をしました。そうすることで、彼らがスパイになり、アヒトフェルの助言を打ちこわし、アブシャロムの策略を伝えるようにしたのです。まさに「神様に対しては鳩のように素直でありながらも、敵対する者には蛇のようにさとく」行動したダビデです (マタイ10:16)。

それにしてもオリーブ山の坂を泣きながら登っていくダビデの姿は悲哀に満ちています(30)。ところで、あなたは「ダビデの子」と呼ばれ、後にこのオリープ山の坂をくだって行かれた方をご存知でしょうか?そう、イエス様です。イエス様は、オリーブ山のゲッセマネの園で「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください(ルカ22:42)」と祈りました。その祈りは、今日のダビデの言葉にもよく似ています(25-26)。

ある人々は、このダビデの苦しみは、バテ・シェバ事件の結果(身から出た錆)と断じます。しかしそう単純には言えません。神様は、その人の信仰の成長に伴って、あえて悩みの炉を通させ、その人の人格と信仰を練り聖められることがあるからです (ヨハ21:18-19)。そして私たちは、その悩みの炉の中で、それでも自分の十字架を負い、主に従い通すことによって、キリストに似たものへと作り変えられてゆくのです。